30-40代専門「オンライン教える業」で起業して自分をもっと活かす方法

講師・コンサル・カウンセリング起業で、自分らしく社会貢献しながら、クオリティライフを実現する

プロフィール

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こんにちは。

藤本政信です。

私は現在、カナダのトロント在住で、「30-40代の人生再構築」をテーマに個人で起業したい人を支援しています。

元々日本の大手企業で会社員をしていたのですが、

32歳で「海外大学院留学」
38歳で「在宅一人ネット起業」
41歳で「海外移住」

という選択を行い、20代のときは想像も出来なかった面白い人生を歩んでいます。

現在は、インターネットを通じて留学や移住に必要な英語試験IELTS(アイエルツ)の個人指導をしつつ、そこで蓄積した起業ノウハウを個人起業したい人に伝えています。

 

学び方も働き方も住む場所も、1つに決める必要はありません。

もっと自分の理想に近い働き方や生き方を選択する人を増やしたい

そんな想いで発信しています。

 

■経歴

1975年山口県生まれ

早稲田大学理工学部卒業
トロント大学経営大学院(MBA)修了

旧財閥系シンクタンクで経営コンサルティングに14年従事したのち、2014年起業

全く畑違いの英語指導の分野で会社員時代の年収を越えるビジネスに育てる

趣味は野球、バイク、歴史小説、自然に触れる旅
家族は妻、娘2人

 

ここからは私のストーリーです。

どんな生い立ちをしてきたか、良かったら読んでください。

 

はじめに

起業して成功する人は誰もが優れた才能に恵まれているのでしょうか?

私はそうは思いません。

 

世の中には

起業して成功する人=優秀な人

という考えを持っている人が多いようですが、そんなことはありません。

 

起業とは、ただの働き方の一手段でしかありません。

就職と同様です。

収入を得るための手段でもあり、自己実現するための手段です。

 

どんな人にもそれぞれの強みがあり、経験があり、学びがあります。

それらを活かせる働き方が選択できると、幸福感や満足度も高くなります。

 

私の場合は、起業という選択をすることで、強み、経験、学びが一気に活かせるようになりました。

20代のときはよく分からなかったのですが、30-40代になって振り返ってみるとすべてがつながっているという感覚です。

 

山口県で生まれ育つ

本州の西の端、山口県下関市で生まれ育ちました。

家族は、造園業を営む父親と、その会社で事務として働く母親、3歳違いの妹です。

 

平凡な家庭でしたが、3歳から水泳、7歳から空手、12歳から野球、といろんな習い事をさせてもらいました。

ほとんど毎日何かの習い事に通っていました。

おかげで体力もつき、自分に自信を持つことができました。

 

しかし、この習い事の中で、一番学んだこと、それは習い事の「辞め方」でした。

 

どの習い事もいつか辞めるタイミングが来ます。

水泳は体が拒否反応を起こすようになって、空手は野球の方が好きになって、野球は受験勉強で、それぞれ辞めてしまいましたが、そのときに親から徹底された教えが今でも心に残っています。

 

それは、

「辞めると決めても最後の練習の日までしっかり通え」

ということでした。

 

普通、習い事を辞める時って、だんだん行かなくなって自然消滅的に辞めるケースが多いと思います。

しかし、私の親はそれを許しませんでした。

だから、どの習い事でも辞める最後の1日までしっかり練習に通い、最後にはいつも先生やコーチから

「最後まで通ってくれてありがとう」

と言われました。

 

このことで、どんなことでも諦めずに最後までやり通すという私の性格は形成されたように思います。

この性格は、のちに大いに役立ちます。

 

情報収集と分析が趣味

もう1つ、小さいころから一貫して好きなことがありました。

それは、データや情報を集めて整理・分析することです。

思い返してみると、物心ついたときから、ずっとそんなことをやっていました。

 

たとえば、小学校低学年のときは、魚の種類を知ることが大好きでした。

魚類図鑑を何冊も買ってもらって、そこに出てくる魚類を全部覚えていました。

名前を覚えるだけでなくて、体長、生息域、寿命など、その魚に付随する情報をどんどん整理して覚えていくんです。

 

小学校中学年になると、宇宙に興味が移りました。

宇宙に関する本を何冊も買うようになって、そこに出てくる色んな天体の大きさとか自転周期とか気温とか、そんなデータを自分なりにノートにまとめて分析するようになっていきました。

 

その次は、小学校高学年から中学校前半にかけて熱中した野球です。

野球は自分でプレイするのも見るのももちろん好きでしたが、それ以上に好きだったのが、野球選手に関するデータを集めて、ノートで分類、整理することでした。

当時は、有名選手の打率、ホームラン数、盗塁数などは、現役選手、引退選手関わらず、ほとんど頭に入っていました。

インターネットも無い時代だったので、データを集めるのは大変でしたが(笑)

 

中学後半から高校にかけては家系図という変わった分野に興味を持つようになりました。

図書館に通い詰めては、歴史上の有名人の家系図を自分のノートに書き写し、その一族の名前の特徴や先祖などを片っ端から暗記していきました。

 

傍から見るとちょっと変わったというか、ヤバい奴だったかもしれません(笑)

でも、この情報分析という特技も、のちになってとても活きてきます。

 

大学時代、一人旅で学ぶ

そんな情報収集や分析が好きだった私は、大学では情報学科に進み、コンピュータを学ぶことにしました。

コンピュータを使えば、こういった情報収集は楽にできるようになると思ったんですね。

ウインドウズ95が販売されて、一気にコンピュータが家庭に広まる1年前の話でした。

 

しかし、大学に進んだ私がそこで目覚めたのは「旅」でした。

それまで自分の世界のすべてだった下関を出て、東京という場所で暮らし始めたことで、知らない世界に出ることの楽しさに目覚めたかのようでした。

 

  • 各駅停車の列車で日本海側を北海道まで北上してみる
  • 原付で東京から山口まで走ってみる
  • 奥多摩で手ぶらで野宿してみる
  • 厳冬期にアラスカで一人旅してみる

など、学生時代ならではの「バカな旅」というのが好きでした。

でもおかげで、様々な学びを得ました。

 

原付で東京から山口まで1週間かけて走ったことで、「道は必ずゴールまでつながっていること」が実感できました。

奥多摩で何もない暗闇の後に朝日が昇ってくる様子をみて、「空けない夜はない」ことを実感できました。

冬場のアラスカで頭上にオーロラを見ながらマイナス40度の世界を経験して、「自分が限界だと思っていたものも飛び込んでみればどうということはない」ことを学びました。

 

これらは、今も私を支える人生哲学になっています。

 

(この相棒とは色んな所に行きました)

 

経営コンサルティングとの出会いと挫折

大学卒業後、経営コンサルティングの事業を行っている旧財閥系のシンクタンクに入社しました。

経営コンサルティングという仕事は学生時代にはその存在さえ知らなかったのですが、話を聞いてみて、私が昔から好きだった情報を分析する特技が活かせそうだと思えたのでした。

(大学卒業時の写真。ほ、細い・・・)

 

実際に、経営コンサルタントとして働いてみると、確かに私の情報分析スキルは活かせる仕事でした。

しかし、それ以上に自分には足らないものがあまりに多くあり過ぎたのです。

最初に配属されたチームは私を除き、全員がMBA(経営学修士)を持っていました。

経営知識があるのはもちろん、全員が弁も立ち、頭の回転が速い人たちばかりです。

 

大学まで比較的順調に来ていた私はここで初めての挫折というものを味わいました。

打合せに出ても、まったく話についていけず、ロクな発言も出来ず、ただただ言われたことをやるだけのロボットのような毎日を過ごしました。

 

「経営というものがどういうものかが分からなければ話にならない」

そう感じた私は、ドラッガー、コトラー、ポーターなどの経営の古典本を片っ端から読み漁りました。

それでも実際の現場では歯が立ちません。

 

やがてMBA取得が必要だと考え始めました。

この時考えていたのは国内のMBAでした。

なぜなら当時の私にとって英語というのは苦手科目中の苦手科目で、できることなら一生避けて通りたいと思うほど、大嫌いなものだったからです。

 

しかし、その考えを覆す出会いがありました。

 

妻との出会いで海外に目覚める

その頃、妻と知り合いました。

妻は、独身時代にイギリス大学院留学経験があり、そのときの話を色々してくれました。

特に

「海外で出会う留学生の中でも、途上国から国の命運を一身に背負って国費留学してくる留学生は目の色が違う」

という話を聞いたときに、私の中の何かが変わりました。

その一言で、私は苦手な英語を克服して、海外のMBAに留学することを決めました。

 

しかし、そこからが人生最大の苦しみにつながります。

 

初めて英語と真剣に向き合う、そして挫折

海外の大学院にMBA留学するためには、その大学が求めている一定レベルの英語力を証明する必要があります。

その英語力の証明は、TOEFL(トーフル)と呼ばれる試験でのスコアで行うのが一般的です。

英語が苦手だった私が、この試験を克服するのには想像以上の時間が必要でした。

 

英語の試験を本格的に開始したときが30歳になる年でした。

元来楽観的な私としては、

「まあ、本気を出せば少しずつでもスコアは上がっていくでしょ」

と軽く考えていました。

 

当時TOEFLは月1回しか受験できなかったので、毎月受験したわけですが、半年経っても、1年経っても目標スコアに届かなかったのです。

毎月、受験しては落胆することの繰り返しで、この時期ほど自分に能力がないことを思い知ったことはありません。

外を歩いていてTOILET(トイレット)という文字がTOEFL(トーフル)に見えるぐらい追い込まれていました。

 

普通の人は1年以上も受験し続ける前に、断念すると思います。

この間に長女が生まれたこともあり、留学の予定も1年先延ばしにしました。

何度受験してもスコアが伸びない私に妻も呆れていました。

しかし、不思議とこのときはもう辞めようという気にはなりませんでした。

その理由は自分でもうまく説明できませんが、子どもの頃、習い事を最後まできっちりやり通せ、という教えがここで効いたのかもしれません。

とにかく、毎月挫折感を感じながらも諦めずに継続していました。

 

そして、ついに目標スコアに達する日がやってきます。

それは対策開始から21か月目、21回目の受験でした。

 

ですが、その苦難の道のりは、決して無駄ではありませんでした。

その当時の私は知る由もありませんが、この経験は、のちのち起業したときに大いに役立つのです。

 

留学先にカナダを選ぶ

こうして、21か月目でようやく大学院に合格できるレベルの英語力を身につけたあと、32歳のときに海外MBA取得のための2年間の留学を実現することができました。

家族も一緒です。

その留学先は、自分でも当初予測もしていなかったカナダの大学です。

 

当時、MBAと言えば、ほぼアメリカ一択で、たまにイギリスに行く人がいるぐらいでした。

しかし、私の英語力で合格できそうな大学はアメリカだと上位20位以下になってしまうことと、イギリスだと留学期間が1年と短いものになってしまうことから、ある程度のレベルの大学院でかつ2年間の留学が出来る第3の選択肢を探しました。

その結果浮上してきたのがカナダという選択肢でした。

 

ところが、このカナダという選択も、のちになって大いに生きてくることになります。

本当に人生というのは面白いものです。

 

留学で変わった価値観

(留学時代、トロント大をバックに)

 

この2年に及ぶカナダMBA留学で、明らかに私の価値観は変わりました。

大きく分けると2つ。

 

まず留学して驚いたのは、世界における日本の存在感が思ったよりも大きいことでした。

MBAの授業でもほとんどの場面で、日本の企業が出てくるし、クラスに一人しかいない日本人に日本のことを聞きにくる生徒たちも多かったのです。

 

しかし留学した時期は、その日本の存在感がどんどん薄れつつある時期でもありました。

留学している2年間の間に、家電量販店から、パナソニック、ソニーなどの日本ブランドがどんどん消えていきました。

この低下しつつある日本の存在感を何とかしたいという思いが、のちに自分の理念につながっていきます。

 

もう1つはライフスタイルに関する気付きです。

カナダでは金曜日の午後3時ぐらいから交通渋滞が始まります。

みんな週末前の金曜日は、仕事を早めに切り上げるのです。

そして週末を家族としっかり楽しんだ後、また月曜日から働く、というスタイルです。

平日も、サマータイムのおかげで夏場は21時を過ぎても明るいのです。

17時に仕事を切り上げた人たちは、そのまま夕方にゴルフを楽しんだり、仲の良い人たちと食事に行ったり。

とにかく人生を謳歌するとはこういうことなのかということに気付かされました。

 

さらに、個人がちょっと旅行に行くかのような簡単な気持ちでどんどん起業していました。

おまけに海外からの移住者も多く、そういった移住者の中には、2年ごとに住む国を変えている、という人までいました。

 

こういった多様なライフスタイルに触れて、それまでの日本の働き方や生活が当たり前だと思っていた私はカルチャーショックを受けました。

そして、起業や移住などの選択肢が普通にあることに気付き、これがのちに活きてきます。

 

とはいえ、この留学中は収入もなく貯金を使い果たしてしまったこと、そして2年も仕事を離れており、早く仕事を再開したかったことから、MBAの課程を修了したタイミングでは、起業や移住という選択はまったく考えることなく私は日本に帰国しました。

 

帰国後の思いと将来への不安

34歳で帰国した私は、再び経営コンサルタントとして働き始めます。

留学していた2年のブランクを取り戻そうと、そして海外で学んだ内容を活かそうとがむしゃらにがんばりました。

家族と過ごす時間はほとんどありませんでした。

 

そんなときに起こったのが2011年の東日本大震災でした。

震災・津波の被害に加えて、原発問題、物流網の遮断によるモノ不足、風評被害、さらには南海トラフ地震や富士山噴火などの不安も煽り立てられ、日本を一気に閉塞感が覆いました。

そして、この震災は、良くも悪くも、今後について考える機会を与えてくれました。

 

ふと、このまま家族とほとんど時間を過ごせないような働き方をしていても良いのか、と思いました。

私の親は自営業みたいなものだったので、私が子どもの頃は毎日父親と一緒に夕食を取っていました。

なのに、それが出来ないのは子どもが可哀そうだなと思いました。

 

年齢は35歳を超えていました。

思い立って転職活動をしてみようかと思いましたが、「35歳過ぎてからの転職は厳しい」と世間で言われている通り、思ったほど良い転職の話はありませんでした。

 

コンプライアンスが厳しく問われるようになっていて、労働環境もどんどん窮屈になっていました。

その先も今の延長上で、劇的に何かが良くなるような未来が描けませんでした。

もっと自分が活かせそうな働き方がありそうだと思いました。

 

35歳前後は、今後が見えてきて、将来に不安を感じる年齢とよく言われますが、私の場合はまさしくそれでした。

それが東日本大震災というきっかけで一気に噴出してしまった感じです。

 

動いてみると見えてくるものがある

そのとき帰国後一時忘れていた、カナダ留学時代の気付きを思い出しました。

「留学した時日本の存在感を高めたいという思いがあったな」

「カナダでは多様なライフスタイルの選択肢があったな」

 

そして、やがて「カナダ移住」「起業」という選択肢を現実のものとして考えるようになりました。

 

単なる選択肢の1つでしかなかった移住や起業を具体的に意識するようになると、インターネットで情報を集めるようになりました。

すると、どんどんイメージが具体的なものになっていき、「自分でも出来るかも」と思えるようになりました。

 

カナダ移住は、永住権が必要ですが、その永住権も何とか取得できそうだと分かってきました。

大嫌いだった英語の試験を再度受験しなければなりませんが、その必要スコアはそれほど高くはないことが分かりました。

あと、カナダの大学院に留学していたこともプラスに評価されること、妻が英語力を有していることもプラスでした。

 

起業に対しては、当初は「優秀なリーダータイプの人だけが、ものすごいリスクを負って立ち上げるもので、それでも成功確率は低い」というイメージがありました。

しかし、調べてみると思っていた以上に個人でオンライン起業して成功している人が多くいることがわかりました。

そしてその方法もそんなに難しくなさそう。

自分でも出来そうなことが多くあることに気付きました。

インターネットが出来たことで、起業のハードルが劇的に下がっていることを今更ながら知りました。

 

起業そして移住というのが急に現実的に見えてきた瞬間でした。

遠くから見ているときはとても大変そうに見えても、実際に調べてみれば出来ることはたくさんある、ということに気付きました。

 

こうして準備期間を経て2014年、38歳のとき、会社を退職し、一人で自宅で起業することにしました。

 

起業と挫折

(起業当時の写真)

 

起業したときは不安はありませんでした。

楽観的な性格だったこともありますが、それ以上に希望が大きすぎたからです。

 

最初に考えたビジネスは「カナダ大学・大学院留学コンサルティング」

それまでの法人相手の経営コンサルティングとは180度違う分野です。

使えるスキルも人脈もゼロからのスタートでした。

 

ただ自分の経験を活かしたものであり、かつ意義のある仕事だと考えていました。

自信もありました。

MBAでも学んだし、経営コンサルタントとしては14年のキャリアがありましたので、それなりにビジネスは分かっているつもりでした。

 

ところが、結果は残酷でした。

どれだけブログやメルマガで情報発信しようが、まったくビジネスにはなりませんでした。

今考えればその原因はよく分かりますが、当時はよく分かっていませんでした。

 

来る日も来る日も収入ゼロの月が続きました。

貯金があったので1年ぐらいは生活できることは分かっていましたが、収入が得られそうな気配が全くなかったので、さすがに不安に思うようになりました。

気付けば8か月間を無収入で過ごしました。

 

ここで助けてもらったのは何人かの起業コンサルタントです。

自分がずっとコンサルタントをしていたので、自分のことは自分で解決できるつもりでしたが、これは甘かったことに気付かされました。

自分のことほど分かっていないものはありません。

そして、一人でビジネスを行うのに頼る人がいないことは本当に精神的な負担になることもよく分かりました。

 

何人かのコンサルタントに相談した後、その原因が分かり、ビジネスの方向転換をしました。

そして、8か月目でついに初めて収入を得ることができました。

人生で初めて会社の看板も使わず、自分の力で得た収入でした。

 

そして、この初収入を得たのは、留学前自分があれほど苦しんだ英語試験の個人指導ビジネスでした。

 

これまでの経験や強みが一気につながる

それまで私は英語の苦手意識があったので、英語講師という経験は全くありませんでしたし、してみようとも思いませんでした。

 

でも、自分が英語で苦労したので、その分、今英語学習をしている人の多くも苦労していることは知っていました。

そしてどんなところでつまづくのか、どんな精神状態になるのかも手に取るように分かっていました。

なので当時の苦しみや、そのときの考え方、対策などを全部開けっ広げにして情報発信していました。

ブログやメルマガの読者にはその点が評価頂けたようです。

自分自身が留学前に英語試験に21か月も苦労したことが、ここで報われるのです。

 

さらに子どもの頃から得意だった情報分析という武器もここで役立ちました。

捉えどころのない英語試験の対策に対して、きわめて分析的なアプローチを取り入れたのです。

英語の講師は元々英語好きな人や言語能力に長けた人が多いので、「楽しく学ぼう」「英語はこういうものだから」といった教え方が多いと感じていました。

そこに対して「試験問題は4つに分類できる」「この展開の仕方は4パターンである」など、思いっきりテクニカルなアプローチを取り入れたわけです。

その結果、提供する英語指導の講座はどんどん評価されるようになりました。

子どものころ魚や天体や野球や家系図で趣味として発揮していた強みが、ここにきてビジネスに活きる結果となりました。

 

それだけではありません。

正直受験テクニックだけなら大手予備校の方がノウハウの蓄積はあるし、英語力そのものはネイティブ講師にはかないません。

しかし、私は知っていました。

英語学習は正しい英語を学べば身につくものではなく、長期に渡り学習モチベーションをいかに維持するかがポイントだということを。

ここで役立ったのが、学生時代に一人旅でたどり着いた人生哲学です。

「道はつながっている」「日は必ず昇る」「限界を超える」などのマインドセットを、英語学習用にアレンジしながらお伝えしていきました。

これが、特に長い期間英語のスコア低迷に苦しんでいる人たちから評価される1つの理由になりました。

 

その後もビジネスの改善を重ねていった結果、発行しているメルマガも3,000人以上が登録してくれるようになり、講座の募集も募集開始後5分以内で募集枠が埋まるような状況になりました。

収入も会社員時代を越えました。

以前留学したときにカナダで見ていたような、人生を謳歌するための基盤が出来上がりつつあります。

 

さらに英語指導をした生徒さんからは、とても感謝され、さらに留学していった生徒さんたちが、海外で活躍している、というご報告も頂くようになりました。

留学していたときに感じた日本の存在感の問題、この問題に少しでも貢献できているという実感が得られるようにもなりました。

 

起業したことで、これまでの人生で得てきた強みや、学んだことが一気につながってきたのです。

 

カナダ移住

 

2014年の年末にはカナダ永住権を取得しました。

永住権が取得できたのは、カナダに留学していたこと、その留学を通じて英語力をつけていたことが大きなプラスポイントになりました。

留学のときにアメリカに固執していたなら、永住権の取得は出来ず、当然今の移住生活もありませんでした。

留学時に選択肢をカナダに広げたことがここで活きました。

本当に不思議なめぐりあわせです。

 

そして2016年、41歳のときに、家族をつれてカナダのトロントに移住しました。

留学後、約10年ぶりのカナダ生活です。

 

現在、私は自宅で仕事をしつつ、子どもたちは現地の学校に通って、日本では得られない数々の経験をしています。

 

「30-40代での人生再構築」

こうしてみると私は30歳で留学を決意してから人生が激変しました。

「留学」「起業」「移住」というターニングポイントを30-40代で経験し、今はまるで別の人生を歩んでいるような感じがします。

そして、その間にあった1つ1つの決断や学びが、その後の人生に大きく影響しているのを感じます。

 

日本は平成の時代から、令和の時代に替わりました。

経済、人口動向、周辺国との関係、技術など、あらゆることが昭和・平成の時代に経験してきたこととは異なる時代に突入していると感じます。

また人生100年時代と言われるように、今後90歳、100歳まで生きるのが当たり前の時代になってきます。

 

特に30-40代の人にとっては、その変化をどのように受けとめて、どのように今後の人生を歩んでい行くかを考えるタイミングになっています。

これまで築いてきたキャリアを継続するのが良いのか、それとも全く別の道を歩むのが良いのか、人それぞれによって判断は異なると思います。

ただ、特定の組織や特定の場所に依存した生き方はどんどん苦しくなるのではないかと思っています。

 

もう一度多様な選択肢の中から、自分にとって一番良い選択肢を考えてみませんか?

そして選んだ選択肢に向かってしっかりと歩んでいくこと、それが将来の不安を解消してくれます。

これが私がもっとも伝えたいことです。

 

「在宅」「個人」「オンライン」「教える業」起業

働き方というのは人生の中の一部でしかないわけですが、しかし、とても大きな要素だと思います。

起きている時間の大半は、働くことに費やしますし、それによって、収入も住む場所も、人間関係も、場合によっては心身の健康にまで、大きな影響をもたらしますので。

 

私はその中で「在宅」で「個人」で「オンライン」で「教える業」で「起業する」という選択をしました。

現時点では、最高の働き方を選択したと満足しています。

 

まず「在宅」「オンライン」起業のおかげで、住む場所が自由に選べるようになりました。

これ以外のビジネスだったら私の海外移住は実現しなかったかもしれません。

今後は「夏はカナダ、冬は日本」という季節移住を目標にしていますが、これも「在宅オンライン起業」だからこそ実現可能です。

 

「個人」であることで、自分のペースに合わせて仕事量をコントロールできるのはこの上なく快適に感じています。

実際、私は3週間や1か月という長期の休暇を頂くこともありますが、これも「個人」で起業しているからできることです。

 

また「教える業」は、顧客から直接感謝されるという意味で、非常にやりがいを感じます。

そして「海外で活躍できる人材を育成する」という意味でも、私の理念を実現できる仕事になっています。

他の仕事、例えば物販や投資などではなかなかここまでの充実感は得られなかったのではと思っています。

 

こういったワークスタイル、ライフスタイルを目指したい方、普通に実現可能な選択肢ですので、是非前向きに取り組んでみましょう!

 

このブログに対する思いはこちらからご覧ください。

 

2019/05/21